スキー場滑走ブログ2

実際に滑ったことのあるスキー場の情報や感想等の記録です。写真などを見て一人でも多くの方がスノースポーツに興味を持って楽しんでもらえると嬉しいです。記録等はスキーヤー目線です。よろしくお願いいたします。

profile

私のプロフィールを紹介しておきたいと思います。

クロです。

prof07.jpg

スキーを始めたのは大学3回生の冬、バイト先の人に伊吹山スキー場(現在は廃止)へ無理矢理連れて行かされたのが初めてでした。初日は誰が教えてくれるわけでもなく、ひたすらこけまくって一日かかって短いリフトに2本だけ乗った記憶があります。

当時は「私をスキーにつれてって(1987年)」の後。バブル景気まっただ中でまさにスキーブームの絶頂期。クロもとりあえず人並みに滑られれば良いやという感覚で行きました。

2回目はバイト先の人と10人ぐらいで箱舘山スキー場へ行きました。2回目からは自由に動き廻れる様になり。少しずつスキーに関心が高まっていきました。この当時はもちろんスキー板もウェアもレンタルでしたねー。日帰りの箱舘山なのにリフト券とレンタル代で1万円以上掛かった様に思います。しかもレンタルのウェアは臭かった・・・。一緒に行った女の子にどん引きされていないか心配になりました。

レンタルに懲りたクロはアルペン(スポーツショップ)へ行き、スキーの3点セットを買ってしまいました。今では(選択肢として)考えられないのですが、板はスワロー、ブーツはリアエントリのノルディカでした(共にもちろん初心者用)。お金が無かったとは言え、無知って怖いですね。ちなみに、板はその後、10日間ほど履いて速攻で飽きました・・・

クロの運の良いところは周りにスキー上級者が多くいたことです。バイト先には他大学のスキーサークルの連中やバッジテストの1級(当時は神様に見えた)を持っている先輩がいました。結局、学生時代はスキー上級者と行動を共にすることが多く、必然的にスキーの上達を目指すことに。学生時代も滋賀県在住だったので、滑りに行くのは余呉高原、奥伊吹、揖斐高原等の近場のスキー場が多かったです。びわこバレイや国境でもオールナイトが行われていて本当にスキーが盛んでした。

就職する前の1996年に滑走50日目に揖斐高原(貝月)で2級に合格しました。ちなみに、揖斐高原スキー場は岐阜県西濃地方にあるこじんまりとしたスキー場で滋賀からだと下道で2時間ほどでした。受験にはなぜか一人で行ったんですよね。事前講習で一人だけ大ごけしてへこんでいましたが、検定では無事に滑りきり一人だけの合格でした(ちなみに、受験者数は3名^^;)。このときのスキー板はアトミック、ブーツはヤマハ(←超懐かしい)。特に板は180cmの長さでした。

揖斐高原スキー場↓

揖斐高原(スキー場滑走ブログ)

社会人になってからはスキーに行きたいけど、なかなか行けない日々が続きました。ワンシーズンで10日間ほどしか滑られないシーズンもあり、フラストレーションの溜まる日々でした。このころの板はカザマでしたね。長さはなんと188cm!(←たぶん、ちょっと記憶が曖昧)結局、会社は2000年の10月退社して実質的にプラプラすることになったので、冬の間はスキーを頑張ることにしました。

どうせなら憧れのあったスキーインストラクターをしてみたいと考えてスキージャーナルやインターネットでスクールの募集を探しましたが、当時のレベルは2級で、しかも少しブランクがあったのでなかなか良い条件のスクールが見つかりませんでした。最終的にインターネットで見つけたスキーインストラクターの派遣に登録することに。ところが、これが大失敗^^;。今となっては貴重な経験と思うようになりましたが、スキー業界の裏側を見た感じがします・・・。

prof02.jpg

prof03.jpg

一応、記録として残しておきたいので派遣されたスクールのあるスキー場を明記すると、北志賀竜王志賀高原横手山志賀高原一ノ瀬でした(順不同)。指導はもちろん一生懸命やりましたが、3校目で責任が取れないと感じたので(←嘘、スクールの環境と派遣に愛想がつきた)、派遣からは足を洗うことに・・・。そんな中、2001年、滑走136日目に春日長者平で1級に合格しました。春日長者平スキー場は岐阜県西濃地方にあるスキー場でしたが、その後閉鎖。このときも2級受験時と同様に一人だけの合格でした(受験者3名だったと思う)。

この後に色々と縁があって再び志賀高原内のスクール(一ノ瀬、西館)と直接に契約(もう派遣はこりごり)してインストラクターの仕事をすることになりました。数えてみたら派遣時代も含め通算で50日間、16校ほどを受け持った事になります。基本的には修学旅行やスキー研修でのスキー指導でしたが、インパクトのある学生さんも多く、今でもかなり鮮明にスキー講習の内容を覚えています。それだけやりがいと責任のある仕事だったと思います。当時は一人で10-15人ほどを受け持つのですが、基本的に受講生はほぼ初心者なので、できるだけ脱落者を出さないように心がけました。将来、またスキーをはじめスノースポーツに興味を持ってもらえるかどうかはインストラクターの技量によるところが大きいと感じていたので本当に一生懸命に対応した記憶があります。諸事情(就職)により、今ではインストラクターの仕事をすることはありませんが、個人的には志の高い方がインストラクターをしてスノースポーツの楽しさを普及させて頂きたいと願っています。もちろん、私もスキー指導以外のところで頑張りますよ-^^。

prof05.jpg

prof06.jpg

さて、その後はテクニカルを目指してスキーを頑張っていました。以下は記録です。

2006年に春日長者平、2007年は戸隠中社(強風の為、リフトが動かず検定中止)、2008年はいいづなリゾートで事前講習前のコブ練習で転倒→左肩骨折、2009年は北志賀よませで検定を受けましたが、不合格となりました。そして2010年は福井県スキー連盟のテクニカル検定(国境会場)で通算498日目にしてテクニカルに合格しました。やはりテクニカル到達には1級と比較すると長く掛かりましたね。この頃の板はオガサカ(Keos)、ブーツはレグザムでした。一番最初に使用したスワロー(板)とリアエントリのノルディカ(ブーツ)からは進歩したものです・・・。

あと、余談ですが、プライズの検定(受験)資格にはSAJ会員であることが明記されていますよね。クロも受験当時は暫定会員等になって受験しました。ただ、この会員であるという条件は受験資格から外れればもう少し検定を受けやすくなるのになと思っています。準指導員や指導員はSAJの会員である必要はあると思いますが、プライズ検定には必要の無い要件の様に思いますが、これは何か理由があるのでしょうか?技術系の検定はオープンにした方が受験者も増えてスクールにも良い事だと思うのですが・・・。

なお、クロはどこのクラブにも属していないので、検定を受ける予定はありませんが、今後はパウダーなんかも求めつつ(相方と共に)、スキー自体もまだまだ上手くなりたいので、色々と頑張っていきたいと思います。あと、海外も含めて色々なスキー場に行ってみたいですね。とりあえず、年に一度は草技術選に参加したいと思っています。

では、今後ともスキー場滑走ブログをよろしくお願いします。

板:オガサカKeos(MD/170cm)、BLASTRACK(ELIXIR/169cm)

ブーツ:レグザム

ウェア:オンヨネ(2017シーズン新調)

prof04.jpg